昭和に入ると、満鉄は相次いで関東軍の陰謀の舞台となる。
1928年6月4日、満鉄の車両が奉天付近で爆破され、乗っていた奉天派軍閥の領袖、張作霖が死亡した。これが張作霖爆殺事件であり、中国人の犯行に見せかけた関東軍の陰謀であった。結果は失敗に終わり、首謀者・河本大作陸軍大佐は予備役に編入される。(後に河本は満鉄の理事になる。)
1931年9月、満鉄の柳条湖付近の線路の爆破事件(柳条湖事件)は、満州事変の発端となった。関東軍高級参謀・板垣征四郎、同参謀・石原莞爾らの陰謀であったが、当時満洲を支配していた張学良と戦闘状態に入り、圧倒的な軍事的勝利により、満洲全土を関東軍の支配下に置くことに成功した。
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当時、総裁内田康哉以下の満鉄首脳は事変の不拡大を望んでいたが、理事の中でただ一人事変拡大派であった十河信二の周旋で内田が関東軍司令官・本庄繁と面談すると、急進的な事変拡大派に転向し、満鉄は上から下まで事変に協力することになる。この満洲事変、および満州国の成立によって満鉄の性格は大きく変わることを余儀なくされる。満鉄の監督官庁は満洲国建国以後、日本の満洲国駐箚特命全権大使となったが、この職は関東軍司令官が兼任していた。こうして満鉄は事実上、関東軍の支配下に入ることとなった。
鉄道は満鉄本来の路線(社線)つまり新京(現・長春) - 大連・旅順間の満鉄本線と安奉線のほかに、満洲国が1935年にソビエト連邦から買収した新京以北の北満鉄路(旧称・東清鉄道)をはじめとする満州国有鉄道(国線)や北部朝鮮の一部の鉄道の運営および新線建設を受託し、営業キロ数は格段と伸びた。これに対応するため、満鉄は1936年、奉天に鉄道総局を設置、さらに1942年に本社を大連から満洲国の首都新京に移転している。
1934年(昭和9年)11月、大連 - 新京間に満鉄最初の特急「あじあ」が設定された。最高速度は130km/h、表定速度は82.5km/hで、日本国鉄の特急「つばめ」の平均速度66.8km/hをはるかに上回った。流線型の外被をつけて空気抵抗を少なくした大出力蒸気機関車「パシナ型」がこれを牽引した。1935年(昭和10年)には運転区間は哈爾濱(ハルビン)まで延長された。